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コンパス・OB会
今年になって、我が事務所のOB達から飲みに誘われることがあり、次はコンパス全体でのOB・OG会をにしよう!ということになった。場所は皆が集まるには負担も大きくなるため、事務所の屋上での開催とした。我が事務所の屋上は3年ほど前に全面屋上緑化して全面芝貼りとなっているため、時々みんなでバーベキューなどを楽しんでおり、本日に備えて、数日前にはオープンデスクの学生とともに芝刈りをして備えた。
振り返れば31歳で独立してもう22年になる。そもそも私が建築家を志したのは中学2年(14歳)の時である。当時、日本は高度成長期で、ちょうど大阪万博の開催を目前にしていた。父親がとび職の請負をしており、万博の孫請け工事を請け負っていたため、その現場に連れて行ってもらう機会があった。当時の私にとって、知る限りでの大きな建物は小学校と母親に連れられて行く阪急百貨店であった。しかし、万博現場にいった私は、お祭り広場やアメリカ館、ソビエト館など、その建築のスケールに度肝を抜かれたことは言うまでもない。あいにく私の身近には将来の進路などを相談できる大人がいなかったが、たまたま叔父が「建築士は儲かるぞw」w」w」」的な言葉に、「工作や絵を描くのも好きやし・・・自分の考えたものが街に残っていくのは素敵やな・・・」と建築の設計を仕事にしようと決めた。そこで、当時中高一貫の私学に行っていたが、より早く建築家になるために大学を出る(高校3年+大学4年)より早く資格を得ることのできる高専高校(5年)に行こうと決め、親にも了解を得ずに願書を取り寄せたが、結局、担任の先生の強い説得により大学への進路をとった。
と言っても、その後一生懸命に勉強してきたわけでもないが、建築の仕事につこうという気持ちにはブレはなく、進学の折にも、就職の折にも、現在でもその気持ちは変わっていない。
大学に入っても決してまじめな建築学生ではなく、青春を謳歌していた。入学当時はまだ高度成長期で景気も良かったのだが、卒業時はオイルショックで最悪の求人状況のなか、なんとか中堅のゼネコンの設計部に入った。入社当時より独立を視野に入れていたため、ゼネコンでは当然一生懸命に仕事をおぼえ、その後アトリエ事務所を経て、23年前に31歳で独立した。
事務所は自宅の一室からスタート。しかも、自分ひとりならともかく、独立前には結婚して子供がすでに2人おり、しかもマンションのローンまで抱えていた。もちろん独立当時はお金もなく仕事もなく、何か特に優れた才能があるわけでもない。しかし、何もないけれども、根拠はないが自信だけはあった。
友人の仕事を手伝わせていただくなどの心細い生活であったが、幸いその期間も短く、半年程度で自分の仕事の依頼を受け、この仕事が終われば次、どうしよう?」と思うこともしばしばであったが、なんとか現在に至っており、結局、仕事はほとんど途絶えたことがないのは、非常に運が強いのであろう。
今回、直前での急な誘いにもかかわらず現・元所員達20名が集まった。開業当初のスタッフから現役のスタッフまで、それぞれに担当した物件や近況など、おおいに話が盛り上がった。結局、二次会は1階事務所内で深夜までに及んだが、楽しい時間を過ごす事ができた。