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ホームページを久しぶりに見直すことになった。これを機にブログも・・・というスタッフの薦め、というより半ば強制によりブログをスタートすることになった。
幼いころより今まで、とにかく筆不精で、何度かトライした日記なども三日すら続いたことがない。元来、文才がない。小学校時代の感想文も大抵はあらすじを書いた最後に「おもしろかった」を付け加えただけのおよそ感想のない文章であった。自分ですら嫌になるのに人様の目に曝すなど、なんと無謀なことかとも思える。
今春、下の娘は大学を出て愛知に配属が決まり、上の娘はまだ学生ながらヘルシンキ工科大学に交換留学で本日フィンランドに発った。まぁ、親父の近況を知らせるつもりで、気楽にやってみようと思う。
まず、自己紹介として住宅特集に掲載の文章を以下に添付する。
「住宅特集」(2000/04)自己紹介より
・生き物や自然の好きな子供でした。勉強は好きではありませんが、図工は得意な方でした。中学2年のとき、とび職の請負をしていた父に大阪万博の工事現場に連れて行かれた時に建築に目覚めました。「自分の考えた物を人のお金で大勢で造ってもらい、喜んでもらって、しかもお金まで貰える…なんて素敵な仕事だろう!」この気持ちは今も変わっていません。多くの人や物と関わり、色々な条件を整理しながらそれを形にしていく作業は、ある種のパズル感覚を持ち、飽きることがありません。時代を築くような建築や提案は望んでいませんが、出きれば身近な建築のレベルを少し上げることが出きればと思っています。最近では、建築のほか、テニスw「スキー、ボード、マラソン、陶芸、釣り…機会があればなんでも楽しんでいます。なにに限らずいつも、人にも自分にも素直で一生懸命でありたいと思います。
「住宅特集:住宅力がついてきた」(2001/01)より
住宅力はついてきているのか?
【袋地の家】

私は子供の一時期、大阪の下町にある「文化住宅」と呼ばれるあまり文化的でない木造アパートで過ごした。当然家の中では特別なプライバシーはなく、和室2部屋だけで家族4人の生活の大半をまかなうことになる。しかも、この家にたまに祖父母や親戚家族が泊まり掛けで遊びに来ていたのは、今から考えるとスゴイ。遊び場は外が中心となり、嫌でも家族は顔を突合わせて食事をとり、夕食後には家族や近所の友達と風呂屋に行くのが日課であった。当時の下町では大半がこのような暮しぶりで、一戸建に住んでいた者はかなり裕福な家庭であった印象がある。路地が交錯する下町はスリリングな空間がたくさんあり遊び場にはことかかないし、遊び道具は身近なモノで工夫を凝らした。不衛生で危険な場所も多いし、天敵のような怖いオッサンやうるさいオバハンもいた。当然ケンカやケガも絶えないかわりに、その中から子供なりに免疫力を付け危険の学習もできたし、叱られ方の要領も身につけたように思う。
生活が豊かになると共に、住宅メーカーを中心に耐震性、高断熱、高気密、抗菌処理…と性能をうたい文句に競うおかげで、住宅の性能はドンドン良くなってきた。しかも最近では自分の部屋にテレビやゲームがあり、パソコンや携帯電話で自分に都合のよい情報のみに接していれば、危険や嫌なこと、家族とさえ付き合う必要がなくなる。
住宅をスペックの高さで計ると、家電同様に古いスペックのものはすぐに用をなさなくなるし、人間も抵抗の必要もないところに体力や工夫が生まれるはずもなく、ほんの些細な危険(物的、精神的)にも対処できなくなってしまう。いくら家が安全で快適になっても外に出れば、厳しい自然や危険があふれている。成人はともかく子供達がこのような保育器のような家で育つことが本当にいいことなのだろうか? 住宅は人間の巣である。人間は巣作りとしてもっと住宅と関わりながら、状況に応じ環境や住宅を変えていく力も、自分をそれらに合わせる力も付けなければならないだろう。

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