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住宅力?をつける!

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私は子供の一時期、大阪の下町にある「文化住宅」と呼ばれるあまり文化的でない木造アパートで過ごした。当然家の中では特別なプライバシーはなく、和室2部屋だけで家族4人の生活の大半をまかなうことになる。しかも、この家にたまに祖父母や親戚家族が泊まり掛けで遊びに来ていたのは、今から考えるとスゴイ。

遊び場は外が中心となり、嫌でも家族は顔を突合わせて食事をとり、夕食後には家族や近所の友達と風呂屋に行くのが日課であった。当時の下町では大半がこのような暮しぶりで、一戸建に住んでいた者はかなり裕福な家庭であった印象がある。路地が交錯する下町はスリリングな空間がたくさんあり遊び場にはことかかないし、遊び道具は身近なモノで工夫を凝らした。不衛生で危険な場所も多いし、天敵のような怖いオッサンやうるさいオバハンもいた。当然ケンカやケガも絶えないかわりに、その中から子供なりに免疫力を付け危険の学習もできたし、叱られ方の要領も身につけたように思う。



生活が豊かになると共に、住宅メーカーを中心に耐震性、高断熱、高気密、抗菌処理…と性能をうたい文句に競うおかげで、住宅の性能はドンドン良くなってきた。しかも最近では自分の部屋にテレビやゲームがあり、パソコンや携帯電話で自分に都合のよい情報のみに接していれば、危険や嫌なこと、家族とさえ付き合う必要がなくなる。

住宅をスペックの高さで計ると、家電同様に古いスペックのものはすぐに用をなさなくなるし、人間も抵抗の必要もないところに体力や工夫が生まれるはずもなく、ほんの些細な危険(物的、精神的)にも対処できなくなってしまう。いくら家が安全で快適になっても外に出れば、厳しい自然や危険があふれている。成人はともかく子供達がこのような保育器のような家で育つことが本当にいいことなのだろうか? 住宅は人間の巣である。人間は巣作りとしてもっと住宅と関わりながら、状況に応じ環境や住宅を変えていく力も、自分をそれらに合わせる力も付けなければならないだろう。(新建築JT2001/1号)

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